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釧路市の丹頂鶴

釧路教会

金光教

星

金光大神と天地金乃神ってどんな神

金光教は「 天地金乃神 生神金光大神 」を信奉する。

 江郷繁樹の独断と偏見で 16 

天地と繋がっているいのち(生命)・10

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 前回までは、なぜか、川手文治の半生を書くことに集中した。
 さて、今度は、急に天地書附という、現実の問題に触れてきました。
 明治政府の宗教政策は、宗教は、政府の監督下に置かれました。
 そのため、明治維新政府の祭政一致(さいせいいっち)の宗教政策で、神仏混合(しんぶつこんごう)の禁(きん)が発(はっ)せられ、神仏稀釈(しんぶつきしゃく)の運動になってきます。
 こういう社会の動きは、旧山陽道のそばにあった大谷の里にも何となく関知(かんち)され、繋がってくるものがあったのでしょう。
 天地金乃神の道を教える、生神金光大神社を立てぬくよう、信者氏子に申しつけ。金光大神、拝むと言うな、お願い届けいたしてあげましょうと申し、願う氏子の心で、頼めいと申して聞かせい。わが心におかげはあり、と言いながらも、
  天地金乃神 
  生神金光大神  一心ニ願
  おかげは 和賀心にあり
  今月今日で たのめい
という書付いたせいと、子供らに仰せ附けられていた。
 これから、どんな社会になるか分からないから、参ってきた信者氏子に、書付を渡すように天地金乃神が、金光大神に言っていました。
 しかし、実際に、明治3年2月17日、戸長(こちょう)川手堰(いおり)に、金光萩雄(はぎお・教祖4男)が呼び出され、「神の前を、かたづけよ」と命じられます。
 これからは、参ってきた信者氏子にも、拝んでやればお上のお叱りを受けるので、拝んでやれぬ。この書附(かきつ)けを、目に届く壁にでも貼って、神(天地金乃神)を忘れずに、お願いせよ。おかげは頂ける。自分で拝んで、自分でおかげを受けよと言って、書附けを渡していた。

 同年3月20日の日、世話人・森田八右衛門が教祖の広前に訪れて、「金神さまお厨子をだし、内々、お届け申し上げるように、と川手戸長から申しつけられた」と告げた。
 金光大神は、「内々ではいたしませぬ。御上(おかみ)さま御役場(おやくしょ)へ、御心配かけては、あいすみませぬ」とて、これに応じようとは、せぬのであった。
 八右衛門は、金光の意外な態度に驚きながらも、引き返して、
 「金光は内々では不安なから、おがまぬ、と申しまする」と戸長に告げた。戸長はこれを聞いて、「あんまり、金光は、丁寧すぎてどうもならぬ」
 「はじめ止めたのも私。拝めというのも私。御上も、はじめのほどは、厳(きび)しゅう申し附けられ、
小祠(しょうしゃ)どもは、取り払いになろうか、と思うほどであったが、また、すこしは御裕(ごゆう)になり、お膝元の大仙稲荷へは、建築(ふしん)もでき、おがみおるのに、金神様では、人が参ってきても、拝んでやられぬから、みな、力を落として帰ると聞く。なにも、悪いことをするのではなし。人が助かることじゃ。
 また、なんとか、懸念(しんぱい)になることがあるようなら、いずれ、この方へ、沙汰(さた)のあることであるから、なにごとでも、すぐに申してやるから、心配はない。御上がかりになっておるものを、打ち切って、あとで、また新規(しんき)に願出(ねがいで)すことになると、ほねがおれて、容易(ようい)なことではない」とねんごろに、八右衛門に伝え、金光大神も、「さようならば」と得心(とくしん)した。
 この日、世話人川手保平も、「万一の場合は、私があなたのお身代わりになってあげます。御心配を、おかけ申しませぬ」と進言(しんげん)した。
 金光大神は、「私も『氏子たすけ』に出(でた)からは、あなた方、みなさまへ御厄介かけては、あいすみませぬ」とこれにこたえ、翌、21日から、袴(はかま)をつけて、常のごとく取次に従うこととなった。
 この間、広前を引いていたのは、31日であった。金光大神は、この度のことについて、「御上(おかみ)へでても、実意(じつい)をたねぬき候」と、記している。
 この時から、
   生神金光大神
   天地金乃神 一心に願え
   おかげは和賀心にあり

   今月今日でたのめい
との書附けが変わっている。


 ものを観る目の大切さ

 
 1858(安政5)年12月24日、文治は夕飯後、いつものように神様(金神と思っていた神)に向かった。すると、金神と思っていた神は、私は、天地金乃神という神で、これ迄もたびたび教えてきたが、神(天地金乃神)を知らず、先祖の無礼、17年間に7墓築かされた理由、医師にかけ治療いたしたこと、神々願い、祈念祈念におろかもなし、神仏願いてもかなわず、残念至極と始終思いしていたであろう。と、天地金乃神に言われ、文治は、ハッとした。
 文治は、天地金乃神様への無礼を知らず、この度、教えくだされありがたし。と詫びた。
 神(天地金乃神)は、文治の、実意丁寧神信心により、夫婦が助けられて来たことを知らされた。
 文治は、恐れ入り、これまで天地金乃神様のお計らいで助けられて来たことにお礼をし、これからは天地金乃神様に、ご信心することを誓った。
 文治は、1859(安政6)年5月秋蒔き小麦の収穫をし、畑を田に作り替え、
稲の苗植えが始まった。苗植えも今日で終の日、予定していた田の苗植えが予定より早く終わった。家に帰り支度をし、ちょっと高い畦道(あぜみち)に腰を下ろして、今植えた田を眺めた。なんと、今植えた苗の葉先から、水の玉を田に返しているではないか。文治は、「神様だなあー」とつぶやき、苗を見渡している。
 この光景は、天地金乃神様もしっかり見届けていて、文治はもう迷うことはあるまい、と思われたことだろう。
 そして、半年が過ぎ、今度は稲刈りが終わり、田んぼを、畑に作り替え、秋蒔き小麦の種(たね)を蒔(ま)き終わった、
 文治は、1859(安政6)年10月21日の夕、神様にお礼をすると、神様は、神も麦まきが終わって安心した。文治に色紙を買ってこいと命じ、文治が色紙5枚を買ってくると、5枚纏(まいまと)めて幣(へい)を切れと命じ、文治が恐るおそる、幣が出来ましたと神棚にお供えすると、この幣切り境に肥灰(こえはい・農業)差し止めるから、その分に承知してくれ、そして文治に農業を止めて、神(天地金乃神)の守をしてくれ、と文治に頼んだ。
 文治が、神様の願いを受け、お広前(ひろまえ)相勤め奉ります。と答えた。ここから、文治が、金光大神になります。人間が神になる初めての金光大神ですから、教祖金光大神になり、生命(いのち)を持った、生きている神ですから、生神、つまり教祖生神金光大神が生まれました。
 教祖金光大神は、この、稲の苗の体験は、皆に話をしていたことだろうと思いますが、誰もこの話を教祖様から聞いた、と語っている人はいないのです。なぜだろう、は次回に。

 

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コラム

- 旅そのものが、人を育てる 3-

 レンタカーで四国一周 

 

 私は、青年教師になってから、レンタカーを借りて、四国の海沿えの道を一周したことがある。
 北海道の大雪山系の山々は、○○岳という山の岳・岳を結ぶと、神奈川県がすっぽり入ると言われている。1番高い山は、旭日岳だが、例えば、層雲峡の大雪山系黒岳はだいたい旭日岳の対岸に当たる。層雲峡から黒岳にはロープウエーで昇り、その先はスキー場のようなリフトがあり、登り切ると対岸の朝日岳が聳え立っている。右も左も周囲に○○岳があり、そこは自然のお花畑だ。北海道は、デッケイドウと言われる所以でもある。この黒岳から、お花畑を歩いて、旭日岳迄行き、旭日岳の展望も満喫しそこから麓まで、ロープウエーがあり、下に降りると、方向不能で、バスで旭川迄出た思い出があったりする。
 四国はどうだろう。教祖様の、石鎚山は四国では1番に高い山(1982㍍・だが、そんなことを思いながら、四国の全体と、石鎚山に登ってみようと思った。 

 レンタカーでの尾道から今治までは、全部橋が架かっていて、快適で、今治から佐多岬の突端に向かった。まずは、右手方角に伊予(方)原発があるが、そこはわざわざ入らないと見えないが、まっすぐ佐多岬の突端に向かった。そこは豊後水道が見渡せる絶景で、穏やかな海だが、真向かいに、九州本島の国東半島も見える。だが誰もいなかった。 戻って四国の南岸を東に、宇和島でうどんと、例の雑魚天(ザコテン)をタラブク食べた。
 なるべく海岸道路を通って、足摺岬の灯台を展望し、四万十川を横切って、高知市で泊まった。行き当たりばったりの宿泊だから、なるべく都市のビジネスホテルを探して宿泊してる。
 翌朝は、桂浜などの観光はさっとして、一路室戸岬に走った。室戸岬はダイナミックな、石原と、太平洋の荒波であった。しばし、波はここまでは来ないだろうという岩に腰を下ろし、ジョン万次郎に思いを馳せた。
 そこから、徳島市で1泊したかも知れぬ。翌朝、剣山(四国で2番目に高い山・1955㍍)の景観を横目で見て、石鎚山の山道を走り、バス停のある駐車場に車を止めて、石鎚山頂を目指し歩いた。途中鎖に捕まらないと登れないような急斜面もあったが、あっという間に山小屋に到着。それからは山小屋よりは少し高くなっているだろう尾根道を100㍍も歩いたか。そこが山頂だった。山頂に広場はなく、あちらもこちらも山があったが、石鎚山系の山なのかどうなのか解らなかった。
 過日、豊後水道を震源とする、震度6弱の地震があった。そのニュースに身が縮む。それは、四国の道路は幅が狭く、海岸線を走っていると、進行方向左が絶壁の崖、右が谷底、海だったりする所が多い。つまり、逃げ場がない。車で走っている時、こんな地震が来たらと、ヒヤッとした。多分、左側には落石が大変だったと思う。
 そのわりには、四国にはご縁があり、何回も行っている。

つづく。

金光教釧路教会では、宗教、宗派を問わず、どなたでも参拝できます。

また、葬儀や結婚式、交通安全祈願など各種祭儀も行ってます。

​お気軽にお問い合わせください。

TEL 0154-41-1351

お問い合わせ時間 11:00~18:00

入信・脱退に関わる規則や拘束(特別な献金や修行の義務)はありません。

今後の予定
背景 和紙

​今後の予定

教会では 10:00~ ご祈念・毎日

日曜、祝日・教会の祭典日は、

祈念はお休みです。

5月

5月10日(金) 13:00

​ 生神金光大神月例祭祭

​5月21日(火) 13:00

  天地金乃神月例祭・月例霊祭

5月26日(日)  11:00

  天地金乃神大祭​​

今 ・ 前後の話題 ロシアによるウクライナ侵略

 

 ロシアがウクライナ南部クリミアを併合した2014年3月は、なぜ、ウクライナの反撃がないのか、不思議だった。
 この時、北海道新聞によると、ロシアの街や通りはプーチン大統領支持や祖国愛を連呼する人々であふれた。プーチン氏の支持率も過去最高を記録。その熱狂を支えたのが愛国心だった。ソ連崩壊で社会主義などの理念が失われたロシア。国民の再統合を迫られた時、多民族国家をまとめる精神的紐帯(チュウタイ)として利用したのが愛国心だったという(西山美久著「ロシアの愛国主義」)。 民族意識に根ざした国家をつくれば「ソ連崩壊に次ぐ新しい破局が出来る」。そんな懐疑心の裏返しが2001年から始まった愛国心プログラムだったようだ。
 ナポレオンの全盛期や、第2次世界大戦のヒットラー侵攻、それをくい止めた、独ソ戦勝利を偉業として、メディアを通じて国民意識を高めていたらしい。一方欧州は、北太西洋条約機構(NATO) の拡大に神経を尖らせていた矢先、同盟国だったウクライナのNATO接近には、がまんの緒が切れたらしい。2022年2月24日、ロシア軍の侵攻が開始された。
 米国は、厳しい経済政策を科す方針を示し、ロシアの大手銀行の資産や、プーチン自身や家族などの定期預金までも、凍結した。
 欧州連合(EU)は、今年3月21日の首脳会議で、ロシアの凍結資産から生じる利子や配当をウクライナ支援に活用することで合意したニュースが出てきた。過去はどうあっても、独立した国が、国民と供に歩もうといていることは、いかに大国であっても、留めることは出来ない。
 私は、一人の宗教者の直感で、「これは使える」と思った。
 欧州連合(EU)が使うのは、緊急処置だが、国連機関が、今後、武力で現状変更を企んでいる国があるとすれば、資産凍結が出来る方策を考え、
例えば、中国のシナ海、特に南シナ海で、他国領土の浅瀬の海を改造して自国の領土にしてしまっているようですが、紛争に発展した場合、現国際法は、200海里が国境、を厳守してもらうように働きかけ、理解してもらえない場合や、紛争している場合は、資産凍結、紛争が戦争に発展した場合は、その凍結資産の利子分、あるいは、利益分を、紛争で困っている国の軍備費に使用するような、あるいは、紛争解決した場合でも、破壊されたインフラなど復旧費として使用するような、国際法を作ってはどうか。
 米国で、トランプ氏が大統領になり、国内での行動はどうあっても良いが、勝手に他国に入り込む様なことになれば、そこからの対応になる。
 プーチン氏のような、頭脳明晰の人であっても、ファシストになってしまうのであるから、国連などの機能の充実を図って、国際法を考えては。
 今危ないのは、イスラエルやイランだ。ミャンバーも危ない。
 もっとあるのかも知れないが、私には解らない。

 

アクセス

金光教釧路教会

〒085-0833 北海道釧路市宮本1丁目5-22

  • JR釧路駅より

  • 徒歩25~30分、タクシーで5~6分

  • 釧路総合振興局の裏手

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