金光大神と天地金乃神ってどんな神
金光教は「 天地金乃神 生神金光大神 」を信奉する。
江郷繁樹の独断と偏見で 20
金光教(こんこうきょう)の教祖金光大神(こんこうだいじん)様の
ご生涯や金光教の成り立ちについての連載コラムです。
立教神伝と角南佐之吉の伝え
生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい
上記の文言を金光教では『立教神伝』と呼んでいる。
この文言の中に神様のお名前と、信心の仕方を教えている。
ところが、この立教神伝が、明治5年には、
生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい
と書かれていた。
何がどう違うのであろうか。金光教は、この難題に答えない。どうしてだろうかと思う。
大げさだが、江郷繁樹の独断と偏見で考えると、天地の働きを天地金乃神と名付けられたのだから、天地を観てどう考えようと自由である。天地金乃神は、声もなし、形も見えずだから、どう考えても自由だ。
たとえば、キリスト様は、人間も、動物も、植物も神が創造した。それでも、自由だから、良いではないか、と言うことになってしまう可能性があります。
しかし、それでは、金光大神の信心にはならない。
つまり、金光教にはならないことになってしまう。
そこで、生神金光大神の役割があるというものだ。
つまり、生神金光大神の眼を通して、天地金乃神様を観る。天地金乃神様に願いなさい。生神金光大神の眼を通して、天地金乃神様を観てご覧なさい。そうすると、天地金乃神様の働きが見えてきますよ、と書き直しました。
それが、明治6年4月15日のことでした。
実は、1868(明治元)年に、明治新政府が、祭政一致に制に復し、神仏混淆の禁、政策を発令した。1871(明治4)年4月戸籍法を定め、宗門人別帳・寺請の制度を廃止し、これが、廃仏毀釈運動に発展し、相当の寺院をが解体された。しかし、仏教教団は、大きな力を持っていて、このまま、神仏混淆の禁、政策を続けると、新政府が持たなくなる危機を感じた、ようです。
宗門人別帳・寺請の制度は続けるが、廃仏毀釈運動新政府がこれを沈めた。
実は、金光教段にもこんなことがありました。
1873(明治6)年2月18日、戸長川手堰から神前の撤去を命ぜられ、教祖は、神前を徹し、宅吉<虎𠮷改め>に届けしむ。同月19日教祖、神名により、門の鳥居を撤去。金光大神お広前ひき、荒れの亡所になりと淋しげだったが、天地金乃神様より、力落とさず休息いたせ、と仰せつけられた、と。
明治6年4月11日に、
生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい
と、天地金乃神様より、書きつけはじめいたし。参って来られた方々に、今は拝んであげられないが、この書きつけを目の見えるところに貼り、天地金乃神様の働きを忘れなさんなと言い、渡せよと言われた。
ここで大切なことは、生神金光大神の眼を通して、天地金乃神、つまり天地の働きを観ることの、大切さを強調しています。
同じ事ですが、生神金光大神の眼を通して、あらゆるものを観ていくと言うことです。
生神金光大神の眼とは、金光大神の信心(精神)のことで、金光大神のものの考え方、金光大神のものの見方を通して、全てのものを観ていくということです。
さて、天地書附の順序を、見ていきますと、次に、おかげは和賀心にあり、と解らない文章が出てきます。
私は、初めにこの文章を見た時から、和賀心は、我の心で、文治さんが、13歳14歳と2年間、庄屋の小野光右衛門様から、手習いをしました。その2年間に覚えた文字を書き連ねたもので、それにしては、よい字を書き連ねたものと、ズート思っておりました。
ところが、1983(昭和58)年10月10日、金光教教祖百年祭の時に金光教教典が刊行され、その中に金光大神覚書、お知らせ事覚帳、金光大神御理解集が纏めて収められており、金光大神御理解集(金光大神が直信<教祖に会い、教祖様から、どんな教えを受けたか>が書かれていて、角南左之吉の伝えまで読み進めて、吃驚、しました。
ここで、角南左之吉の伝えを省略して、書かせてもらいます。
角南さんの家は、雑貨を営む商売をしていた。父と左之吉さんとで、店をやりくりしていたが、2人はどうも折り合いが悪かった。
例えば、お店の棚の整理をしていても、父は、今日はザルを目立つようにして、商品を並べていたが、左之吉さんが店に出てきた途端に、喧嘩になった。こんなザルなんか目立つところに置いても、売れやしないだろう。それよりは、包丁を目立つところに置いて、売った方が良いだろう。其の方が、売れると思うよと言いだした。父は、包丁なんか目立つところに置いたら、子どもが来たら、危ないじゃないか。と言った具合だ。
ある日、例えば、父が亀の子たわしを沢山仕入れてきた。それを、父が、メインに商品を並べようとしていた。早速喧嘩が始まった。親爺ったら、こんなにたわしを仕入れて、どうやって売るんだ、もう少し時世に合ったものを仕入れてこないと、店を潰してしまうじゃないか、ホントに親爺ったら、と怒って店を飛び出した。ほんとに、親爺ったら、と怒り怒り、思いながら歩いていたら、何となく金光様の方に向かって歩いていた。ここまで来たら、金光さんにお参りしてみるか、と思いお参りした。
すると、金光様から、書付を頂いた。金光様が、「おかげは和賀心にあり」について、和はやわらぐで、賀は、祝賀の賀で、和らぎ喜ぶ心に、おかげがありますよ、と言って渡してくださった。
左之吉は、家に帰り道々、なにか変なものを頂いたが、と思いながら、「おかげは和賀心にあり」に眼が行き、和らぎ、喜ぶ心か、と道々、思っていたが、やがて自分の家、店が見え、父がいそいそ働いている姿が見えた。
やがて、家に着き、父に向かって、お父さんと声をかけた。父は、振り返って、また文句を言われるかと構えた。が、左之吉は、父さんの言うこと、なすことに、文句を言ってごめんなさい、と謝った。
父は、吃驚して、何を言うか、ワシの方が、大人げなかった。お前の言うことを、きちんと聞いてあげられなくて、済まなかった。と、両方で謝り合っている。
母が奥の部屋で見ていたが、また、ごたごた、やっている。そんなに喧嘩ばかりしているのなら、金光さんなんて、辞めてしまえば良いのに、と思った、が、なんだか、今日は様子が違うようだ、と思って、見に来たら、両方で、謝り合っている。
どうしたんだね。と声をかけたら、息子の左之吉が、
今、金光さんの参りしたら、こんな紙を頂いた。
で、おかげは和賀心にありについて、金光様が、和はやわらぐで、賀は、祝賀の賀で、和らぎ喜ぶ心に、おかげがありますよ、と言ってくださった。
帰る道々、なんか変なものをもらったが、和らぎ喜ぶ心に、おかげがありますよ、と言われたことにひっかっかって、ふと、父とのことを考えていたら、いつもいつも不平不満ばっかり言っていて、いつもいつも喧嘩になっていた。が、そう言われてみれば、この店は、親爺が働いていて、そのおかげで、我々子どもが独り立ちできてきたのに、今になってみると、時世じせいとばかりに親爺に文句を言って、喧嘩ばかりしてきた。
和らぎ喜ぶ心って、親爺のやってきたことを認めてあげたら良いんじゃないかと思って、親爺に謝っていたところだ。
そしたら親爺が、わしの方が大人げなかったなんて言うものだから、お互いに謝り合っていたところさ。と説明した。
母親は、そうかい、そうかい、と大喜びをして、いつもいつも喧嘩ばっかりしていて、そんなに喧嘩をしなきゃならないのなら、金光さんなんて、止めてしまえばいいのにと思っていたよ。
そういうことなら、私も信心するから、金光さんに連れて行ってくださいよ、と言うことになり、3人で金光さんのところに、お礼のお参りをした。
なんだか、めでたし、めでたしの話のようだが、これは、本当の話で、今では、孫かひ孫に当たる方々だろう5人も6人も、角南さんが、本部教庁で、ご用に当たっている。
金光大神の信心による助かりとは、こういう助かりを言うのだろう。
人として、どういう生き方をするかは、誰もが問題になり、自分はこう生きようと決めた方は、それも良いでしょう。
方向が解らず、モヤモヤしながら、生きられるとしたら、金光教の教会にお参りしてみてください。
金光教の信心は、まず自分自身が自立すること。その心の支えは、勿論、生神金光大神の取次を受け、天地金乃神様に心を向け、祈ることです。
金光教の信心は、まず自分自身の心に、自分自身が天地の中に生かされ、生きていることに喜びを持つこと。その心の支えは、勿論、生神金光大神の取次を受け、天地金乃神様に心を向け、祈ることです。
金光教の信心は、まず自分自身が自立し、自分自身と関わりのある、身内の人達と仲良くすること、学校に通っていれば、友達と仲良くすること、職場の人は、同僚と仲良くすること。その心の支えは、勿論、生神金光大神の取次を受け、天地金乃神様に心を向け、祈ることです。
*教祖生神金光大神は、勿論、もうご帰幽されましたが、教祖生神金光大神様の精神(信心)は、金光教を信心している方々に受け継がれています。
とりあえず、教統は、本部広前の、教祖様の血統を継ぐ(教会長の選挙ですが)、歴代教主金光様の取次か、北米、米国、カナダ、南米、ブラジル等を含め、全教約1500以上はある、教会の先生の取次を受けてみると言うことでしょうか。
教団内では、全教の教会長の取次を、教祖生神金光大神様の取次の、お手代わり、と申しています。
金光教の拝詞の中には、総氏子身の上安全、世界真の平和のご神願、成就せしめ給えと願い奉る。と言う文言が入っていて、全教の教会では毎日、信奉者の方々も自分で神前拝詞を唱えている方は、総氏子身の上安全、世界真の平和達成のご神願と、唱えています。
総氏子身の上安全は、災害の多い日本では、なおさら、地震、台風、大雨(豪雨・雷)等の災害に遭いませんように。たまたま出会った方々には、より安全な方法を、より早く取られますように、祈っています。
世界真の平和達成のご神願は、ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルによる暴挙が少しでも早く終結しますように、大国が、国連の平和に向けた働きに従うように、願わずにおれません。
金光教の教祖様は、人間は神の子と教えられ、人間がお互いの立場に立って、考え、取り組まれますよう、願っています。
イスラム教のように、神は偉大なりと叫びながら、ダイナマイトを爆発させながら、人混みの中に飛び込むようなことは教えていません。
太平洋戦争の終末に、特攻隊を敵の艦船に飛び込ませましたが、これもイスラムの行為と変わりませんですね。
お互いに、お互いの平和を願って、出来れば対話で、戦闘のない世界を築き上げたいものです。
金光教の信心をされていない方も、世界真の平和のご神願と、祈りの輪を広げて頂きたいものです。
そう願えるのも、身の上安全あればこそです。
お互いに、健康な精神と、健康な身体を持って、世界真(しん)の平和を、願わせてもらいましょう。
教会の願い
金光大神(教祖)様の信心を求めよう
金光教釧路教会では、宗教、宗派を問わず、どなたでも参拝できます。
入信・脱退に関わる規則や拘束(特別な献金や修行の義務)はありません。
また、葬儀や結婚式、交通安全祈願など各種祭儀も行ってます。
お気軽にお問い合わせください。
TEL 0154-41-1351
お問い合わせ時間 11:00~18:00
今後の予定
教会では 10:00~ ご祈念・毎日
日曜、祝日・教会の祭典日は、
祈念はお休みです。
9月
9月10日(火) 13:00
生神金光大神月例祭祭9月例霊祭
9月22日(日) 13:00
秋季霊祭・教会で・祭典終了後移動
同 15:00 秋季奥城(オクツキ)祭・
紫雲台墓地
10月
10月10日(木) 13:00
生神金光大神月例祭祭
10月21日(月) 13:00
天地金乃神月例祭・月例霊祭
10月26日(土) 11:00
釧路布教116年祭・祭典
祭典終了後前庭で焼き肉パーティー
アクセス
JR釧路駅より
徒歩25~30分、タクシーで5~6分
釧路総合振興局の裏手に位置します