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釧路市の丹頂鶴

釧路教会

金光教

星

金光大神と天地金乃神ってどんな神

金光教は「 天地金乃神 生神金光大神 」を信奉する。

 江郷繁樹の独断と偏見で 15 

天地と繋がっているいのち(生命)・9

開花

 前回までは、なぜか、川手文治の半生を書くことに集中した。
 その中で、文治は父母らの信心ぶりを見習い、ずーっと神社仏閣、どこの社寺にでもお参りしていたようだが、何時知らず、神の声を聞くようになり、安政期は自身の病気もふまえ、身内の方が、先達になり、病気回復を四国の石鎚山信仰の金神に願ったことから、金神信仰に傾斜し、実家の弟・繁右衛門が金神信仰に取り憑いたため、ますます金神信仰に傾斜していく。
 しかし、42の2つ子の俗信があり、文治42歳の年の正月2日生まれにまつり替えしたところから、5男卯之丞を、元の寅年に戻し
虎𠮷と命名したことで、聞こえていた神の声は、天地金乃神様の声だったことを知らされた。


 文治の実意・丁寧な神信心を神が見てきていますので、文治と妻・とせの生命は取らぬと言われたことで、これ迄、神様に守られてきたことを知らされる。

 以後、1つ目は、どんなことがあっても、天地金乃神様への信心をさせてもらう約束をする。

 その中で、2つ目は、文治にとって、最後の田植えになっただろう、苗植えが、予定していた時間より早く終わり、畦道で、今、自分が植えた田の苗を眺めていた時、苗の葉の先から、ポツンと水の玉を田に返していたのを見て「神様だなあー」と呟いた。この、体験は何だったのだろうと言うこと。

 その中で、3つ目は、天地金乃神様から、家業を止めて、天地金乃神の願いを、

参ってくる人に伝えてくれ、と頼まれた時、文治はなりふり構わず、神様の願いを受けたことで、文治は、どんな思いで神様の願いを受けたのか、教祖様に続く、布教者にとって、自分の人生をどう考え、思いしていきているのか、考えてみたい。
 
 これからは、天地金乃神様から、文治が最終に与えられたご神号・生神金光大神という、神名で、同名か金光大神と書かせて頂きます。
 
 さて、この3つの目(問い)と関わって、「天地書附」を現、金光教団は、信仰の中心に掲げて、教祖生神金光大神様の信心を頂こうとしております。
 この天地書附に関わって、3つの問いに触れて考えていこうと思います。
 天地書附は、
  生神金光大神 
 天地金乃神 一心ニ願
   おかげは 和賀心にあり
   今月今日で たのめい
というものですが、この書き附けは、明治維新政府の祭政一致の宗教政策で、神仏混合の禁が発せられ、神仏稀釈の運動になっていきます。
 金光大神の所にも、明治3年2月17日、戸長川手堰に、金光萩雄(教祖4男)が呼び出され、「神の前を、かたづけよ」と命じられます。
 翌、18日に、神前を取り外し、その旨を5男宅吉(虎𠮷改名)に届けさせる。3月20日になって、天地金乃神様から、「『天地金乃神・生神金光大神、一心に願、おかげは和賀心にあり』という書き附けいたせい」と金光大神をさとした。
 おなじ3月20日の日、世話人・森田八右衛門が広前に訪れて、「金神さまお厨子をだし、内々、お届け申し上げるように、と川手戸長から申しつけられた」と告げた。
 金光大神は、「内々ではいたしませぬ。御上さま御役場へ、御心配かけては、あいすみませぬ」とて、これに応じようとは、せぬのであった。
 八右衛門は、金光の意外な態度に驚きながらも、引き返して、
 「金光は内々では不安なから、おがまぬ、と申しまする」と戸長に告げた。戸長はこれを聞いて、「あんまり、金光は、丁寧すぎてどうもならぬ」
 「はじめ止めたのも私。拝めというのも私。御上も、はじめのほどは、厳しゅう申し附けられ、小祠どもは、取り払いになろうか、と思うほどであったが、また、すこしは御裕になり、お膝元の大仙稲荷えは、建築もでき、おがみおるのに、金神様では、人が参ってきても、拝んでやられぬから、みな、力を落として帰ると聞く。なにも、悪いことをするのではなし。人が助かることじゃ。
 また、なんとか、懸念になることがあるようなら、いずれ、この方へ、沙汰のあることであるから、なにごとでも、すぐに申してやるから、心配はない。御上がかりになっておるものを、打ち切って、あとで、また新規に願出すことになると、ほねがおれて、容易なことではない」とねんごろに、八右衛門に伝え、金光大神も、「さようならば」と得心した。
 この日、世話人川手保平も、「万一の場合は、私があなたのお身代わりになってあげます。御心配を、おかけ申しませぬ」と進言した。
 金光大神は、「私も『氏子たすけ』に出からは、あなた方、みなさまへ御厄介かけては、あいすみませぬ」とこれにこたえ、翌、21日から、袴をつけて、常のごとく取次に従うこととなった。
 この間、広前を引いていたのは、31日であった。金光大神は、この度のことについて、「御上へでても、実意をたねぬき候」と、記している。
 この、天地金乃神 生神金光大神 一心に願え
      おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい も、
    生神金光大神 天地金乃神 一心に願え
      おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい も、参って来た方々に、今は、拝んではあげられないが、この書き附けを、目に見える所に貼っておいて、神様(天地金乃神様)を忘れるな。忘れさえしなければ、おかげがありますと言って、手渡ししたものであります。
 それにしましても、天地金乃神という書き出しが、なぜ、、生神金光大神と言う書き出しになったのでしょうか。次回に続きます。

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江郷繁樹のあれこれ

コラム

- 旅そのものが、人を育てる 2 -

 私は、次回・高3の時は、国鉄の周遊券のことを知り、例えば、九州一周周遊券とか、四国一周周遊券、山陰一周周遊券を買い、岡山で途中下車、集いの後は、一人旅で、この時は、山陰一周周遊券で、秋芳洞や、萩の街などを見学させてもらった記憶がある。
 当時は、飛行機もあったかも知れぬが、国鉄の汽車旅の時代で、贅沢をすれば、寝台車、私は、何時も特急の自由席。東京・上野始発の時は大変だったが、その他は、だいたい椅子に座れた。青函連絡船は、下船後、だいたいホームまで走り、席を取り、荷物を置いて、ホームの売店か、駅を出て、弁当を買ったりしていた。荷物のいざこざは、一度も無かった。
 高3の時は、山陰一周周遊券を使い、秋芳洞や、萩の街などを見学させてもらった。
 秋芳洞は、大きな洞窟で、入口から、洞窟の中を行ける所まで行って、戻ってくるまで、往復とも眼を見はった。鍾乳洞のつららは、年1~2㎝成長し、つららの先が、地面に着くとだんだん太くなり、何十万年何千万年かけて、大地を持ち上げて、人間でも通れるようになるというから、驚きの連続だった。ピンポン球より一回り大きい球を買い求め、私の宝物になっている。この球をあの水の流れの中に置いておいたら、65年位経っているから、丸い形が変形し、どんな形になっているものやら、すこしは大きくなっているだろうと、想像している。この鍾乳洞を出て、日本海に汽車で出る。その途中は、鍾乳洞の上は、カルルス台地だ。
 日本海側の萩の街中には、下水になみなみと水がユックリ流れていて、どこにでも錦鯉がいて、ついつい足を止めさせられた。

つづく。

金光教釧路教会では、宗教、宗派を問わず、どなたでも参拝できます。

また、葬儀や結婚式、交通安全祈願など各種祭儀も行ってます。

​お気軽にお問い合わせください。

TEL 0154-41-1351

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入信・脱退に関わる規則や拘束(特別な献金や修行の義務)はありません。

今後の予定
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​今後の予定

教会では 10:00~ ご祈念・毎日

日曜、祝日・教会の祭典日は、

祈念はお休みです。

4月

​4月10日(水) 13:00

 生神金光大神月例祭祭

4月20日(土)    13:00

 天地金乃神月例祭・月例霊祭

​※21日は帯広教会御大祭のため日程変更。

4月29日(月) 13:00

 春季奥城祭

5月

5月10日(金) 13:00

​ 生神金光大神月例祭祭

​5月21日(火) 13:00

  天地金乃神月例祭・月例霊祭

5月26日(日)  11:00

  天地金乃神大祭​​

 教祖金光大神は、1869(明治2)年3月15日に、先祖の祭りを、9月9日10日にして、身内、親類、此の方へ参らせ。と神様からお知らせを受け、実行する。そして、1874(明治7)年旧暦の9月9日、新暦10月10日、先祖の祭と合わせて、金光大神祭りを致せ。提灯一張も灯さずとも、神が明かりを灯す。例の客だけいたし。と天地金乃神様のお知らせを受け、以後、生涯金光大神祭り、毎月の10日に金光大神祭り日として仕える。
伍賀慶春という方が、明治9年の秋頃、金光様の広前にお参りした時、いろいろ話をした後に、「旧暦と新暦があるが、先で両方が九日十日と連れ合っていく時がある。その時には、神上がりする」という話をしていた。伍賀氏は、何の話か解らずにいたようだが、はたして1883(明治16)年、新暦の10月10日が、

旧暦の9月10日になっていて、未8月21日早々お知らせ。今明日、飯、茶も食べず。菓子、水だけ。「人民のため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする。金光大神ひれいのため」書きとめ。と、1857(安政4)年、巳10月13日から書き始めた「金光大神覚帳」を書き留めた。実に、教祖金光大神自身が帰幽になる、19日前のことであった。金光大神にあいまみえた、直信と言われる人々の驚きはいかばかりであったか、計り知れないものがある。
 

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